なんとなく昔の自分ってどうだったかなーって思い出してたんだけど、
今とは考え方がまるで違ってたように思う。
まあ子供なんだから当たり前なんだけど。
「負けても別にいいや」
いつからこんな風に思うようになったのか全くわからない。
小学生くらいのときは、ほんとに引くほど負けず嫌いだった。
ゲームで負けては悔しくて泣きながらやりこんだ。
サッカーで負ければボールが見えなくなるまで泣きながら蹴ってた。
遊戯王で負ければ、勝てるデッキを泣きながら考えまくった。
とにかく負けたら悔しくて、感情のままに泣きまくってたのだ。笑
何かできないことがあると、できるまでやめないことすらあった。
もうその辺はほんとに頑固だった。
でもたぶん中学くらいからだろうか?
具体的にはよくわからないけど、感情出して泣くのが恥ずかしいって思うようになった気がする。
だからほんとは悔しくても、感情には出さないようにしてた。
怒ってても怒ってないように見せ、悲しくても全くそんな風に見せないようにしてた。
で、これを続けてるとびっくりするんだけど、悔しいとかそういう感情がなくなってくるんだよね。
だから別に負けてもなにも変わらないだろってくらい。
部活でテニスをやってたけど、まあ中学くらいまでは試合で負けると悔しいって思いはあった。
でも高校でも部活でテニスやってたけど、もう悔しいって感情はほとんどなかった。
だからすごい悔しそうにしてたり、勝ちたそうな人がいたら負けてあげてもいいかなって気持ちになるくらい。
もし試合で俺が勝ちそうだなって思ったら、わざとラインのギリギリアウトになるところを狙う。
入っても相手の練習になるし、アウトになったら狙い通り打てたなって満足してた。
もはや闘争心のかけらもない。笑
相手に失礼なやり方だったかもしれないけど、かなり上手くやってたからばれてはないだろう。
あまりにも大差で負けると不審に思われるから、接戦の末にギリギリ負けたってなるように常にスコアをコントロールしてた。
これが出来たってことは、ある程度の実力はあったのかもしれない。笑
くそー接戦で負けたーと悔しがってるように見せておけば、相手も勝ててちょっと嬉しそうだから、まあおれも満足って感じだった。
あ、ダブルスの時は本気でやったぞ!!
ペアに迷惑かけるからな!笑
そんなんでスポーツの何が面白いんだってくらい、本気ではぶつからないというようなやり方を覚えてしまった。
今思えば、もしかしたら本気でやって負けるのが嫌だったのかもしれないな笑
とまあこんな感じの学生時代を送ったおかげで、何事にも本気でぶつからない生き方をする現在があるような気がしてきた。
あんま欲っていう欲もそんななかったしね笑
なにが言いたいかっていうと、
本音の感情を出すのって実はめっちゃいいことなんじゃないかってこと。
感情出すことを恥ずかしがって隠して、そういう感情自体わからなくなってしまったとしたら、もったいないことしたなーって思う。
自分の感情に嘘をつき続けてると、自分でもよくわからなくなるのかもしれない。
昔の自分にアドバイスするなら、もっと本音の感情出していいし、負けず嫌いでも恥ずかしがることはないって言うと思う。
だから同じような人がいたら、まったく気にしないでガンガン感情出していけって話だ。
今からだと遅いかはわからないけど、もっと感情を出して生きていこうと思う。
人がどう思うか気にしたり、周りに合わせたりすることなく、自分の本音を大事にしていこう。
過去のことわざわざ思い出すってあんまりしないけど、なんか大事なことなのかもしれない。
役に立つかはわからんけど、ちょいちょい思い出してみることにする。
終わり。
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